2007年05月02日

我が青春の山旅

我が青春の山登り (登攀記録)
先程より左手の甲から流れ出した汗が前腕筋の谷間を流れ、肘から空間に雨坪の様に落ちていく。オーバーハング出口の突起に胸を圧迫されながら、左手は僅かな岩の突起を求め、必死に岩肌をまさぐり回している。
数ミリの岩角を掴む指から上腕にかけてはもう限界に近づき痙攣を始めた。
打ち込んできた三本のハーケンはどれも半分しか岩の割れ目に食い込まず、遥か下には俺の落下を待つかの様にV字状の谷が大地を切り裂いている。
こんな無意味に近い行為に、此れほど没頭するのは何故だろうか。やっと左手の指先が僅かな岩の凹みに反応し、指の第一関節が岩角に掛かった。左手に体重を移し三十センチ程身体を引き上げ、今度は痙攣を起こし感覚が麻痺している右手で、アバラ骨の様な岩肌に手掛かりを求めてまさぐり回し、僅か一メートルの高さを勝ち取る為に体力の限界戦い、死と隣り合わせの時間が今日も続いている。
ロマンを完成させるべき壮大な夢を持ち、墜落と言う悪夢に魘されながらこんなバカげた事に青春の大部分を賭け、山の世界に迷い込にでから、もう何年の歳月が過ぎただろうか。
普段は生きる為に努力などしたことない男なのに。
初登攀と言う名誉を得るため?…… 自分自身の栄光のため?……
この記録は 1960年前半より1970年台、十数年山と戦い、二百回以上の登攀の中で、記憶に残っている登攀記録の一部を書き上げた物である。

山 登攀の世界に
もうじき一九才の誕生日を向かえようとしている。
富士山の前衛峰の愛鷹山山塊、大岳ヤエン沢の春の出来事であった。
落ち口まで後数メートル。飛沫で濡れた岩が急に傾斜を増し滑り易くなって来た。足下二十メートルには、白い泡が飛び散っている滝壷が待ち構えている。
墜落、そして死が脳裏を過ぎった。極度の緊張の中、急に冷たい物が背筋を流れ、振動を始めた足は次の一歩を踏み出す勇気が湧いて来ない。
軽はずみに無謀な事に挑戦した事を悔やみながら、濡れた身体で何分間へばり付いていただろうか。
意を決し小さな岩角に足を置き、手は僅かな突起を探し岩肌をまさぐりながら必死に爪を立て、落ち口を目指してナメクジのように高さを稼いで行く。
ヤッター。よろける様に滝の落ち口に座り込む放心状態の身体は、心臓の鼓動だけがやけに元気が良い。
僅か二十五メートルの滝登りが・・、あの恐ろしかった何分間のゲームが・・、俺と山との命を賭けた戦いの幕が開いた。
「一九六一年」ひと月働いて、多い月でも一万五千円。冬山に何とか使える登山靴が一万二千円。米軍放出の羽毛シュラフが五千円。着る物、その他の装備を揃えるに約八千円。なけなしの蓄えを叩いて最低限の登山装備を揃えて、静岡県で有名な先鋭的登山クラブの門を叩いた。
会長以下現役会員が八名。最初の山行は近くの岩登りのゲレンデに連れて行かれ基礎訓練。ザイルの使い方、三点支持、確保技術等を先輩に怒鳴られながら教わるが、麻のザイルを握る俺の手の平は、皮が剥け、ザイルが手の平を動く度に激痛が走る。
夏から秋にと毎週の様にクラブの仲間達と岩壁登攀に明け暮れ、冬山合宿に備えて手袋を着け、アイゼンを履いての登攀練習も十分こなした。
十二月三十日〜一月六日まで、待ちに待ったクラブの登攀合宿が北岳バットレスで行われた。冬の岩壁に挑むのは初めてで、期待と不安を抱きながら四十キロ以上ある重さのザックを背負い、夜叉神峠を抜け深沢より辛く長い吊り尾根下部を登り、ボーコンの頭にベースキャンプを築いた。
尾根上は風通しが良く地吹雪で、テントが今にも飛ばされそうになったり、南アルプスでは珍しいドカ雪が降ったりで、さんざんな冬山合宿だった。
五日間で、かろうじてバットレス第四尾根から、北岳の登頂に成功したが何か物足りない。期待を裏切られた様な重い足取りで下山途中に、リーダーのIさんから「小正月三日間休めるので、八ヶ岳に行かないか」と、声を掛けられた。
Eさんを交えて三人で八ヶ岳連峰、阿弥陀岳広河原奥壁の登攀を敢行する事に即座に決まり、新たな夢と目標が出来た。
定職を持たない俺は、合宿で残った食料をもらい、交通費も浮かせる為に、静岡に帰る仲間達と甲府駅で別れ、一人で八ヶ岳に向った。
赤岳や横岳の一般ルートから登頂。また阿弥陀の南稜から広河原奥壁の偵察を兼ねて登りながら、仲間の入山して来る日を指折り数えて待つが、毎日凍り付いたツエルトの中での一人暮らしは寂しいし何か侘びしい。
厚いブタ肉を土産に先輩が入山してきた来た。
今夜は久しぶりの御馳走と賑やかな夜を迎えた。灯油コンロが力強く炎を上げ、狭いツエルトの中は美味そうな匂いが充満し、否が応で食欲をそそる。何日振りかのミソ汁や生野菜にむさぼり付いた。

厳冬の八ヶ岳 広河原奥壁の登攀
成人の日が明けた。小雪が舞っているが、登るには余り支障が無さそうなので、テントを後に広河原沢に入って行く。所々腰まで潜るラッセルにあえぎながら、ただひたすら単調で辛い作業を繰り返すだけで楽しく無い。
ルートを間違えたのか、ナダレの危険を感じさせる急な沢を横切らなければ目的の岩壁基部に到達出来ない。
先頭のI氏が腰までの新雪を掻き分け対岸の潅木に無事達した。俺はラッセルされた沢を急ぎ足で渡り始め、中間部に差し掛かった。「ビシッ」鈍い音がしたと同時に、対岸の潅木がゆっくり上に動き始めた。俺の身体が立ったまで雪崩れに捲き込まれた事を直に知るが、如何する事も出来ない。
二十メートル位流されただろうか。下身体に凄い重圧が加わり俺の身体は完全に停止した。上を見れば、四十メートル上流に雪の段差が出来ている。恐れていた表層ナダレを引き起こしてしまったのだ。
硬く締まった周りの雪を両手で必死に掻き、何とか脱出に成功したが、後十メートル流されれば氷爆を掛けた滝壺まで落ち、生きて還れなかっただろう。
震える足で対岸の潅木まで登り着いた。Iさん達はしきりに心配してくれるが、悪運が強いのか、俺の身体は何処も傷ついていない。
少し登ると辺りが急に開け、目の前に黒々とした高さ三百メートル程の奥壁が姿を現した。此処まで大分時間を費やしてしまったが、今日中に阿弥陀岳の頂上まで辿り着けるだろうか。
新品のナイロンザイル二本の先端が、先輩のTさんに渡された。二本のザイルの端は私とEさん。確保頼んだぞ、と言いながらIさんはアイゼンの前爪二本を細かい岩の突起に架け、ガチャ、ガチャいわせ、攀じ登って行く。
三十五メートル位ザイルが伸びた。「イイゾー。」声がかかり、Eさんと私は、三メートル位の間隔を保ちながら同時に登りだす。厚手の手袋をした指は、手掛かりを掴むのに苦労する。トップでない気楽さか、半ば強引に攀じ登る。
次のピッチは右上にルートを選び、岩と雪のミックスされた壁をIさんが、雪を払いながら快調にザイルを伸ばして行く。後に続いて登って行くと、畳一枚程の雪に埋れたテラスがあった。 時計はもう午後二時、遅い昼食を少し口に入れ先を急ぐと、砂岩で脆そうな垂直の壁が前面に立ちはだかる。
ハーケンを二本打ち、Iさんの確保体制に入るが、なかなかザイルが伸びていかない。トップのIさんはこの寒さの中、手袋を脱ぎ素手で登り始めた。
視界から姿が消え、アイゼンの音だけが響き渡るテラスで待つこと一時間。
「イイゾー」の声が掛かった。墜落の危険が大きそうなので、一人づつ登ることにして、私から取付く。岩壁に悪態をつきながら、必死の思いでトップの所まで這い上がる。Eさんも「落ちる、ザイル張れ。」などと、大声を出しながら登って来た。次の四十メートルは見た目より簡単にパス出来た。
もう時計が十六時を指している。天候も悪いせいなのか、あたりが薄暗くなって来た。 急がないと。だが、なかなかザイルは伸びない。やっとトップから声が掛かり登り出すが、十五メートルも進むと、もう何も見えない暗闇になってしまった。
「ビバーク」こんな所で。こんな体勢で。座る場所さえも無い場所に立ったまま、余り効いていないハーケン一本にぶら下がり朝を迎えるなんて。
夜半頃より風も強くなり体感温度がどんどん下がっていく。「寒い」先程からアイゼンを履いている足先が痛く、感覚が無くなって来ている。足踏みをしたり、岩に足をぶつけたりして辛うじて感覚を保っている。
時々、金属音が暗黒の世界に響きわたる。 頭上二十メートルに居るIさんが、俺と同じ様にアイゼンを岩場に蹴り付けているのだろう。その度、雪の固まりが俺のヘルメットから肩にかけて襲い掛かって来る。足下十五メートルに居るEさんからも声がかかってくるが、風で声が舞い会話が出来る状態ではない。
ふと、昼から何も口にしていないのに気付き、ヤッケのポケットから食べ残し
のチョコレートを出して口に入れるが、カサカサの喉は、容易に受け付けてくれない。
明けない夜は無いと言うが、「本当に朝が来るのだろうか。」この過酷な自然の中でどうする事も出来なく、ただ朝を待つしかない自分が情けなく感じる。
なんと無く空が白んで来たようだ。十五分もしない内に、ゴソゴソ動く仲間の姿が目に入ってきた。 待望の朝が訪れたが、疲労と寒さで、ロボットの様にぎこちない身体を動かし始めるまでに、一時間も費やしてしまう。
動きの悪い手足で、やっとIさんの所まで這い上がると、Iさん「凍傷で指の感覚がまったく無い」と言う。 暫らくして、Eさんも登って来た。
彼も足を凍傷にやられたらしく痛そうだ。 無傷の俺に、リーダーのIさん「八木下、お前にトップ任す。」 駆け出しの俺は、今まで冬の岩壁でザイルトップなど一度もした事が無いのでオドオドしていると「大丈夫だよ。」リーダーのIさん、笑顔でザイルの端を渡してくれた。
大して困難な所も無く、二ピッチ八十メートル登ると待望の阿弥陀岳の山頂二八〇七メートルに立つ事が出来た。 正面に赤岳、左に横岳、右に権現岳が、朝日を浴びて屏風の様に立ちはだかっている。
横岳にひときわ大きな氷爆が掛かり、その上に黒々とした大同心の岩峰。この素晴らしい景観に心を奪われ、見とれながらザイルを手繰っていると先輩たちも登ってきた。
「ご苦労さん」と手袋を外し差し出したIさんの指はロウ色に変わり、いかにも痛々しそうだ。凍傷を実際に目にするのも初めてである。Eさんも、足の先がズキズキと痛むと訴えているが、どうしてやることも出来ない。
槍の立つ麻利支天より御小屋尾根を少し降り、急な潅木の中を広河原出会い目がけて急降下すると程無く出会いに降り立つ事が出来た。カチカチに氷付いたツエルトを撤収して急いで下山に移る。
茅野の病院で、凍傷の手当ての為にEさんの登山靴は見事切り裂かれ二人とも指を切断するまで進んでいないとの事で、胸を撫で下ろす。
短い山行であったが、ナダレに流されたり、着の身着のままでマイナス二十度を超える寒さの中で立ったままで過した地獄のビバーク、冬の岩壁で初めて経験したザイルのトップなど、色々の経験を積まされ、山の怖さと偉大さが身にしみた二日間であった。
一九六二年の冬は先輩の凍傷が回復せず、またパートナーに恵まれず一人で富士山に登ったり、丹沢の沢や伊豆の城山で岩登りを繰り返して過したが、何か物足りない日々を送っていた。

穂高 夏山合宿
二十才に成った俺は益々山の世界にのめり込んで行き、家族にも呆れられ、半ば公然と山に出かける事が出来る様になって来た。
所属している登山クラブのこの年の夏合宿は穂高に決まり、涸沢を基点にして滝谷や奥又白の岩場を登る事になった。 昨年の夏一人で槍ヶ岳から前穂高岳まで縦走したが、穂高の岩壁を登るのは初めての経験であり、期待で心が躍っているのが自分でも良く分かる。
今だ定職を持てない俺は、上高地までの交通費や合宿費用を作る為に、日当千円の建築現場でのアルバイトに精をだし、山に行く以外は仕事を休まず、真面目に合宿を待った。合宿が近づくと共に、新人を含めて八名いた参加者が、一人欠け又一人と減り、最終的には五名になってしまい、釈然としない気持ちで夜行列車に乗り、富士市より甲府経由で穂高に向かった。
早朝着いた上高地は夏だと言うのに肌寒く、長袖でちょうど良い。
軽い朝食を取り、涸沢を目指して梓川沿いの道を明神、徳沢を通り、三時間かけて平坦な道を横尾まで来た。 あの肌寒さは何だったのだろうか、全身から汗が噴出してくる。横尾谷に入って暫らく行き谷を横切る丸木橋を渡っている時、「大休止。」と言う大声がリーダーから掛かってきた。 少し早いが昼飯を食べる事になり、各自用意した弁当を出し合い無礼講のパーティ。瞬く間に胃の中に収まって後は昼寝。心地好い風が頬を撫でていく。
「イクゾー」リーダーの声がかかり我に帰った。
四十キロ近い重さのザックを担いでの涸沢までの登りは辛い。三十分歩くと五分の休みを繰り返して行くと雪渓の末端が見えて来た。 あと少しでこのくそ重いザックから解放される。疲れと肩に喰い込むザックの重みで視界がだんだん狭くなっていく。精も根も尽き果てて、雪渓のすぐ下のテント場に着いた。
ザックを背にして寝転んだまま誰一人動こうとしない。誰かが「テント張ろうか。」と言い出したが、誰も動こうとしない。
岩登りは、この一年でかなり上達した。一日目は新人を連れて北穂高の東稜、二日目はリーダーと組み滝谷のP二フランケの登攀、三日目は予定を変更して全員で奥穂高のジャンダルム飛騨側の登攀と、楽しい岩登りが三日間出来たが、何故か充実感が無く物足りない。 下界にいてもどうせアルバイト生活。
自分の食い扶持と少々の小遣い、それに山行きの費用が出来れば上等の生活だから、この涸沢で誰にも束縛されずに居たいと漠然と考え始めた。頭の中は坂道を転がるボールの様に止まる所を知らない。
合宿打ち上げの夜リーダーに「このまま暫らく涸沢に居たいから、テントとコ
ンロを貸して下さい。」と申し出たら、驚いた顔で「いつまで?」と。「二十日迄。」と答えると、暫らく考えてから「いいけど家の方はどうする?」すかさず「先輩、電話しておいて下さい。」と御願いをする。

涸沢 貴族
今日もいい天気だ。下山する四人を見送り晴れて涸沢生活が始まる。
今朝迄は四人用テントの中で、むさ苦しいイモ虫五匹が互い違いに眠り、重なり合った窮屈な生活だったが、今日からは解放され、僅か一坪では在るがこのテントの空間は今から半月間は俺一人の世界だ。 誰にも束縛されず、確なる計画が在る訳でも無く、少々暇を持て余す以外は快適な生活だ。ただ一つの心配は食料と燃料の調達だった。
背当てに使用していたダンボールに大きく「求む食料、灯油」と書きテントの入り口に架けて置く。 乞食同然ではあるが、此処で生活して行く為の最も大切かつ重要な、労力を伴わないが大切な仕事である。
テントの看板を見て登山者が笑いながら通り過ぎて行く。早く鴨がネギを背負って来ないかと少し離れた大きな石の上で寝転び待ち構えていると、合宿の疲れからだろうかいつの間にか眠りの世界にと引き込まれてしまった。
登山者が歩く靴音で目が覚めた。すごく長い間眠っていた様な気が、するが三十分足らずの睡眠だった。 テントの前にヘルメット位な大きさの物が置かれているではないか。眠っている間に鴨がネギを背負って来たのだ。大急ぎでテントに戻りさっそく中味の点検をすると、味噌漬けのポークステーキが二枚と白米が少々とトマトが三個。大収穫だ。すぐ上には天然の雪渓冷蔵庫が在るし、最高な環境である。
此処涸沢は標高二千四百メートル。正面に日本で三番目の高峰奥穂高岳が聳え、左にはビーズ状な北尾根が前穂高岳山頂まで続き、右からは横尾尾根が北穂高岳に競り上がっている。
足元からは夏でも雪渓が岩峰の間に食い込み、時間毎に光と影が微妙に景色を変化させていく。昨日までは、岩壁を攀じる事、食う事、眠る事だけしか頭の中に無かったが、今日は、なんと余裕のある日だろう。
夕方になれば、前穂高の北尾根が屏風の頭から八峰、六峰、四峰と順番に光を失い、最後に山頂を照らすと、まだ明るさが残る稜線上に、白い星が一つまた一つと現れ始め、完全に陽光を失った峰々の上には、星が広い空一面を乱舞する世界が始まる。深い眠りから覚めると、まだ薄暗い涸沢カールの上には穂高の岩峰が朝日を浴び真っ赤に染まり、今日が始まる。時計とは無縁の気ままな生活が三日間続いた。
突然我がテントにウイスキーを抱えて夜の訪問者がやってきた。
顔面ヒゲ面の何処にいても山男と判別が出来る三十才位の男だ。ボソっとした言葉で自己紹介を始めた。「岐阜から来ているAだが、明日北穂滝谷のクラック尾根を一緒に登らないか?」まだ駆け出しの俺だが岩壁登攀にはかなりの自信を持っていたので「行きましょう。」と即座に答えた。
彼は今年で夏場の涸沢は四年目で、俺と同様定職も無く、この生活を毎年楽しみに生きているのだと盛んに言う。俺は酒には縁が無いが、Aさんの飲みっぷりは凄く、瞬く間にウイスキーの瓶が空になるが平然としている。
彼の二日酔いが心配だが六時出発と決め、彼は自分のテントに帰っていった。
これが合宿前に先輩が話していた、テント村に巣食う「涸沢貴族」なのか。
四日ぶりに登攀が出来る嬉しさでウキウキしながら中々寝つけない夜である。
肌寒い朝六時少し前に彼がテントにやって来た。「宜しく御願いします。」と声をかけ北穂沢を登り始めた。二日酔いなんて心配した俺が間違っていた。
けっして早い足取りでは無いが、とにかく急な斜面でも立ち止まらず景色にも見向きもせず黙々と歩を進めて行く。俺は後に続くが息切れがひどく、何度となく「休みましょう」と口元まで出掛かるが我慢して着いて行くだけ。
とうとう北穂高の山頂まで一度の休憩も取らずに登ってしまった。
山頂よりキレット側に少し降り、滝谷A沢のガレ場を少し下降して取付きに着いた。 見上げるクラック尾根は名前と似着かず完全な岩壁である。
ザイルの両末端をお互いに結び終わると「トップする?」と聞いたので「どうぞ。」と答えると、ニヤっと笑い登りだした。「巧い」今まで見たことも無いテクニックを使い、瞬く間に三十メートル上のテラスまで攀じ登ってしまった。
俺も自分のテクニックにかなり自信が有ったが、あの技術を見せ付けられたら、自尊心が音を立てて崩れた。「いいよ」と声がかかり俺の登る番が来た。
ただがむしゃらにテラスに向かい攀じる。彼の岩登りのテクニックには完全に脱帽させられ、以後も彼にトップをして貰い、登攀技術をじっくり観察しながらの登攀も又楽しい。
井の中の蛙とはこう言う事なのだろう。俺みたいにクラブの仲間とばかりで岩登りをしていると技術の向上も図れず、人は皆雲の上の存在に成ってしまう。
焦るなといってもあの技量を見せ付けられては。
僅かな時間でクラック尾根の登攀も終わり再び北穂の山頂に登って来た。
ザイルを巻きながら、彼は俺に向かい一言ボツリと呟いた。
「俺達は山で死んだら負けだよ。」血気盛んだった俺の胸の内を見透かされた様に突き刺さってきた。
次の日もAさんに誘われるが侭、奥又白谷の岩場では最も困難と言われている、前穂高東壁Dフェースに出かけ登攀に成功した。
「毎日が日曜日」の涸沢生活終わりに近づいて来た。。
旧盆が終わるとテント村も急に静かになり、食料や燃料の調達が非常に困難になって来た。そろそろ俺もこの快適な生活から離れなければ成らない。此処で出来た友人は、来年の再会を約束して下界に降りていった。
山に登る者、岩を攀じる者、ただテントの周りで景色だけを楽しんでいる者など様々な人種が、勝手気ままに過している涸沢カール。
俺達みたいに長期に渡り此処で過す者達を一般登山者は「涸沢貴族」と呼んでいるらしいが、俺に言わせれば「涸沢奇族」である。
下山の日がとうとうやって来た。あの、毎日が何かに追われた様な下界の生活に戻るのが凄く憂鬱で仕方ないが、後髪を引かれながら重い足で穂高にさらばの唄を口ずさみ重いザックを肩に上高地に下った。
帰宅後テントの返還に行った時、得意顔でAさんと難しい岩壁を登った事をクラブの長老に話したら、規約違反だと怒られ、散々嫌味を言われ頭に血が上り即座に退会願いを出してしまった。
「より高く、より困難を求めて」一人立ちする日がやって来た。それと同時に家族と離れて六畳一間のアパートに移り住む事になった。
単独で、また気の合った仲間と、山から山へと渡り歩く生活を続け、お金が無くなれば、山小屋の番人。梅雨時の一ヶ月は、収入の良い松本市の生糸会社のボイラーマンなど、アルバイトで生計を立てながらの貧困生活続いた。
ある寝苦しい夜、私は布団の中で、何処か知らない岩壁を、青空をバックにザイルも付けずに攀じ登っている。
無謀とも言える単独登攀を行なっているのである。 案の定、一瞬にして身体が岩から離れ、空中に投げ出された。頭を下に、凄い勢いで落下して行く。胸から頭にかけてスーッと血の気が引いて行くのが感じられる。
「夢、夢だ、これは夢なのだ。」夢だと感じながらも、身体はなおも真逆さまに落ち続けて行く。何百メートルいや何千メートル落ち続けただろうか。足が布団を叩く音で目がさめた。全身に汗が吹き出ている。
不快な脱力感が全身を襲う。 こんな悪夢を見た数日後、若き二人のアルピニストが、穂高の岩壁登攀目指してやってきた。

屏風〜四峰〜右岩稜〜前穂高岳 の連続登攀
徳沢の橋のたもとで山を見上げている、私と山仲間のS君である。
梓川の対岸から空を突き破る様にそびえる前穂高岳。それを切り裂く様に深く切れ込んだ豊富な残雪を抱えた奥又白谷、それらをかこむ大岩壁群が、正面よ
り朝日を浴びて金色に輝いて眠不足の目には眩しい。
この夏の「メイン イベント」屏風岩東壁から前穂高四峰正面壁を登り、前穂高東壁右岩稜を連続登攀して前穂高山頂に至る、計画が実行されようとしている。 いつまでも見とれている場合ではない。
仕事の都合で三日後には下山しなければならないパートナーと、梓川沿いの平坦で退屈な道を,歩く事五十分横尾に着いた。
左から涸沢、右から槍沢の合流する、槍ヶ岳と穂高岳登山の分岐点だ。
左上に目をやると垂直の大岩壁がそそり立っている。それが前穂高から梓川に落ちる北尾根末端の花崗岩の屏風岩だ。
一、五リットルの水を水筒に入れ、岩場の取付きを目指すも、潅木の中は踏み跡もなく視界もさえぎられ、自分が何処に居るのか見当も付かない。そのうえ蒸し暑く、身体からは汗が滝のように流れ落ちて行く。水を飲みたいが、明日の朝まで水の補給は出来ないので耐えるしかない。
我慢だ、忍耐だと心に言い聞かせ、ひたすら登っていくと、突然目の前が開け屏風岩が頭の上に覆い被さってきた。
安全ベルトを身に付け、ザイル、カラビナ、ハーケンで完全武装を整え、アタックを開始すると、百メートル程で広いバンド状テラスに登り着いた。
ここから垂直の岩場が始まる。先駆者の残したハーケンが岩の割れ目に沿って打ち込まれている。
傾斜は強いが、残置ハーケンの助けを借りて登るので、思ったより楽に登ることが出来るが、ザックが徐々に肩に食い込んで来て辛い。 その上に真夏の太陽が、身体の水分を最後の一滴まで奪い取っていく。
水、水、水。喉の渇きとの戦いに耐え切れず、一口また一口、とうとう水筒の水は半分程になってしまった。 三百メートル程登ると傾斜が少し緩んで来た。
後七十メートル、左上にある潅木帯を目指し、こまかいホールドとスタンスを拾いながら攀じ登って行くと、岩の割れ目から水が僅かに染み出している。
夢中で岩肌に口を付けるが、コケと砂が口の中でジャリヽ絡むだけで、喉の渇きを満たしてくれる量で無い。水飲みは諦め、左上にスラブを登ると太い潅木に達し、最初の課題、屏風岩の登攀終了した。
眼下には、赤い屋根の横尾の山小屋が、マッチ箱より小さく見える。登攀用具をザックにしまい、ハイ松の中を掻き分けながら三十分、今夜の寝ぐら、屏風の頭に予定どうり、陽が沈む前に着く事が出来た。
疲れた。とにかく眠い。昨夜は汽車の中で殆んど眠っていないのだから無理もない。 残り少ない水でスープの殆んど無い即席ラーメンの夕食をすませ、早々
にハイ松の中に下半身を潜り込ませると、たちまち目が閉じてしまった。
何時間眠っただろうか。 ふと目覚めると、星、星、星、目の前が星の洪水。
星明かりで、槍ヶ岳から穂高の稜線が黒く浮き上がって、メルヘンの世界に迷い込んだようだ。 暫らく星空のメルヘンの世界を楽しんでいたが、いつの間にかまた深い眠りに入ってしまった。
「朝だー。」モルゲンロートに輝く槍ヶ岳、穂高の峰々。目指す前穂高岳は、右に吊尾根、左は奥又白谷をはさんで明神岳、正面がこれから辿る北尾根を従え、堂々と聳え立っている。
朝食は、残した水を全部使い切り、昨夜より少しはスープの多いラーメンを腹に流し込み、涼しいうちにと快適な夜を過せた寝ぐらを後にする。
ハイ松が足に絡み着き歩きにくい北尾根を、八峰、七峰、六峰を越え、五峰とのコルより残雪の豊富な奥又白谷に降り立つ。 雪渓から流れ出る冷たい水で、十分過ぎる程に喉の渇きを癒してから次の獲物を目指し動き出す。
雪渓は急では在るが流れる風が涼しく、昨日の暑さが嘘のようだ。暫らく雪渓を詰めると、右側に高度差三百メートル程の四峰正面壁が姿を現した。
傾斜も余り強くなく、下半分は小さなブッシュが目立ち、登攀意欲が余り湧かないが計画は実行に移さなければ、と気乗りしないがアタックを開始する。
比較的やさしい登攀が百二十メートル、チョット難しいオーバーハング気味の所をハーケンの力を借りて右上に四十メートル登ると、傾斜もガクンと落ちたブッシュ混じりの岩場が四峰の頭に続いている。四峰正面壁に取付いてから僅か二時間で登ってしまった。
残すのは前穂東壁だ。三峰のコルより再び奥又白谷へ下り、急な雪渓を落石に気を付けながら慎重に左上すると、今回の山行きの最後を飾るのにふさわしくスッキリとした右岩稜の基部に登り着いた。ガレ場には名も知らない小さな黄色い花がゆれ、上には覆い被さるように明るい右岩稜が濃紺の空ににクッキリと浮かび上がり、否が応でも登攀意欲をそそる。
「いくぞー。」友に声を掛けてアタック開始。「あと五メートル。」友から声が掛かる。余りの快適さに、ザイルの残りも気にせずに三十五メートルも登って来たのだ。少し上に楽に立てるテラスがある。そこまで攀じ登り、友が登って来るのを確保しながら鼻歌まじりで待つ。
振り返ると、徳本峠から常念岳、大天井岳に続くなだらかな稜線スカイラインを描き、眼下には、昨日の早朝に橋のたもとで見上げた徳沢と梓川が横たわり、凄い高度感である。昨日から一歩又一歩と自分の足を動かし、また攀じ登り、良くこんなに高い所まで来たものだと。
次のピッチは、かぶり気味でなかなか手強い。尺取虫の如く、垂直の壁に手掛かりを求めて、ジワジワと高さを稼いで行く。 手掛かりになる岩角が遠い。
伸び上がる様にして、強引に岩角を掴み体重を掛けた途端に、岩が剥がれ落ち宙に舞った。岩壁が凄い勢いで目の前を登っていく。少しスピードが緩んだ様な気がしたと同時に、胸に強いショックが来た。
俺の身体は、友より二十五メートル上に宙吊り状態だ。胸が少し痛むが身体は何処も岩角にぶつけていない。 八メートル上には、剥げ落ちた岩の傷跡が色を変え、生々しく残っている。
友の確実なる確保に助けられた。再び落ちた地点まで登り直すも、ガタガタと足の震えがなかなか治まらない。
初めて岩場での墜落。動揺した心を抑えながら、今度は細心の注意を払い慎重に登り切ると傾斜が落ち楽になって来た。尚も易しい岩場を二ピッチ、ザイルを伸ばして行くと、右岩稜も足下にする事が出来た。
ガレ場を少し登ると七十メートルの岩壁Aフェースに突き当たる。
フィナーレにふさわしく、快適な岩登りを楽しみながら、午後三時に前穂高の山頂に立つことが出来た。
計画は予定通りに終った。パートナーS君の手を、固く握り締め、互いの健闘と成功を讃え、前穂高岳を後にした。吊尾根を散歩しながら、奥穂高経由で涸沢のテント場に下りたのは、陽が北穂高岳の稜線に消える頃だった。
友は、勤務の関係で明日の早朝に下山して行く。狭いツエルトの中で精一杯のご馳走を作り今回の山行を労ってやった。
俺は今年も、二十日余りの涸沢貴族の生活が始まる。
毎日山と向き合い、そして戯れていられる。何て贅沢な日々であろう。

北穂高岳 滝谷グレポン壁 単独登攀
俺は一人で滝谷の岩場にやって来た。
突然静寂を破り、大音響が滝谷全体を包んだ。恐ろしい程大きな岩が、C沢右俣奥壁を落下してくる。ほんの数秒間の出来事であったが、俺はローソク岩の基部で岩壁にしがみついたまま恐怖で長い間身動き出来なかった。
こんな恐ろしい出来事を肌で体験した今日が始まった。
真夏だと言うのに肌寒い涸沢のテント場を後に、北穂沢の雪渓を登って来た。
ビーズの様な前穂高北尾根が朝の光を浴び、薄暗い涸沢カールから競り上がり輝いている。 暫らく北穂沢を詰めてから左側の尾根にルートを取ると、三角形の穂先が天を突く槍ヶ岳の雄姿が顔を覗かせ始めた。鳥も止まらぬと言われている滝谷の岩壁に初めて単独で挑むという、野望を胸にして。
「単独登攀」 俺達クライマーがアルピニズムを追求して行く手段としては究極の行為である。それだけ危険も増大するが、成功を収めればアルピニストとして名誉であり、最高の誇りでもある。
今日登ろうとしている壁は、滝谷の岩壁群では人工的手段を使わずに登れ、絶好のフリークライミングを提供してくれる、グレポン岩壁である。
待ち受ける如何なる困難も一人で解決して無事に登攀をやり遂げ、己の欲望を満たし自分を誇る事が出来るのか?…………
それとも、二十一才の若き名も無いクライマーがこの滝谷の岩壁に藻屑と消え、この世から永遠に忘れ去られてしまうのか?…………
登攀を終えて頂で味わう一本の煙草、無償の行為で有るが故の充実感、また麻薬の様なあの快感を味わう事が出来るだろうか?………
期待と不安の入り混じる複雑な気持ちで、此処北穂高山頂まで登って来た。
決断をしなければならない時がとうとうやって来てしまった。
「危険を冒してまで、何故挑戦をしなければならないのだ、」と誰かが呟いた。 「そんなに不安で怖ければ中止してしまえば、」とまた誰かが語りかける。
出かける前には何時も壮大な夢を抱いた計画が頭の中に描かれるが、いざ実行に移す段になると弱気の虫が騒ぎだし今日も、いつも以上に騒ぎたてる。 グレポンの岩壁と戦うのではなく、退却と言う汚点を心の中に残さない為の、戦いではないか。 己に勝つ為には、この薄黒く汚れたC沢左俣の急な雪渓を右俣出合いまで降り、この頂をこの足で再び踏まなければならない。
迷いを吹っ切れないままで俺は急な雪渓に足を踏み入れた。
もう戻る事など出来ない悲壮感を漂わせるドラマが幕を開けた。アイゼンを持参しなかった事を悔やみながらの下降だ。 暫らく降ると左手にスッキリした岩峰ドームが半円形で聳え、その基部で二人のクライマーが攀る準備をしている。尚も谷底まで滑り落ちそうな雪渓を慎重に下ると、C沢右俣が合流して、此処でやっと危険な下降から解放されホッとする。
目指すグレポンの岩壁は、スカイラインに鶏冠の様な岩頭を持ち、その奥にローソクに似た岩峰を空に突き出している。
わざわざ下降してまた岩壁登攀の為に攀じ登る。 登山としてはいささか疑問に感じたが、そんな事は今の俺には如何でも良い事で、多くの岩壁を攀じ登り、名誉? 栄光? を掴む旅の途中である。
右俣の雪渓を少し登ると、取り付き地点に特徴の有る柱状の節理を持った、二百メートル程のグレポンの壁が立ち塞がった。右股のドンズマリに岩の脆そうなC沢右俣奥壁が覆い被さっている。
登攀用具を身に付け、ザイルは肩にかけて攀じ登る準備は出来上がった。
「さあ勇気を出して登るのだ」と誰かの声が聞こえて来る。此処まで来てもまだ「止めとけ」と別の誰かがそっと耳打ちをする声も聞こえる。
「単独登攀」これ程までに、登る前から恐ろしく逃げ場の無い自分との戦いが続くなんて、昨日までは想像さえつかなかった。
所々に錆び付いたハーケンが残された二百メートル程の岩壁が、俺の心の中を知ってか知らずにか、無表情に立っている。
戦いの幕が上がった。柱状の岩に左手をかけて右手でその上の岩角を掴み、右足を岩の凹みに乗せ一歩擦り上がりながら左足をあげる。 単純であるがデリケートで微妙なバランスが必要な岩壁を、手掛かりを求めながら慎重に此処まで攀じ登ってきた。行く手を五メートル程の手掛りが少ない手強そうな垂直の岩壁に遮られた。九十メートル程下には、C沢右俣の岩屑だらけの雪渓が口を大きく開けて俺の落ちて来るのを待ちかまえている。
このまま自分の岩登り技術を信じて突破にかかるべきか、それとも、ザイルを付けて最低限の安全策を取って突破すべきか。
思案していると、ハーケンを打ちつける乾いた音が聞こえて来る。 ドーム西壁に取り付いた二人のパーティが打っているのだろうか。 無理は避けよう。
適当な岩の割れ目を探して大切なハーケンをハンマーで叩くと、二回、三回と音量を変えながら滝谷全体に広がり、心地良い音色のコダマが返って来る。
打ち付けたハーケンにループにしたザイルを固定して登り出すと、以外にも簡単に突破出来てしまった。そんなバカな。己の心の弱さを知った感じだ。
まだ続く壁は岩が脆く所々で緊張させられるが、順調に鶏冠岩とローソク岩の鞍部まで登って来た。もう少しで俺が初めて挑んだ単独登攀も完成する。
突然頭上で想像を絶する大音響が鳴り響いた。
俺は反射的に岩にしがみついた。見上げると、縦走路からだろうか、恐ろしい程巨大な岩が、大小の岩を巻き込みながらナダレの様にC沢右俣奥壁を跳ねながら落下している。
岩の塊が雪渓に落ちて雪を高く飛び散らせ、俺のいる岩壁の真下C沢右俣を、凄いスピードで滑りながら谷底に消えて行く。
鈍い音が聞こえてから暫らく経つと、きな臭い匂いが谷全体に広がり、何時までも鼻について離れない。 全身に恐怖がこみ上げて来たのは、静寂が滝谷に戻り暫らくしてからだった。
まだ恐ろしさで震える足でロウソク岩を裏側から回り込むように登ると、傾斜も緩いルンゼに入った。稜線を歩く登山者の姿も見えて来た。
C沢左俣を下降し始めてから二時間四十分。大好きな煙草にも一度も口にせず、何かに取りつかれた身体が、休む事さえ与えず、追われる様に上へ上にと俺を押し上げてきた。
もう恐れる事も無い簡単なルンゼ状の岩場を登って行くと前が開け、北穂高から奥穂高に続く縦走路に飛び出した。
夢に見てた初めての「単独登攀」も終った。
眼前に穂高の岩山とは対象的な女性的な常念岳の山容がのどかに広がり、俺の大好きな前穂高のビーズ状の北尾根が梓川まで続いている。
煙草の煙が何処までも流れて行く、夏の日の穂高。単独で滝谷登攀を敢行し、成功した、夏の日の昼下がり。 充ち溢れた気持ちで北穂沢を駆け下った。

槍ヶ岳 北鎌尾根 単独行
二十一才の冬も過ぎ、再び二十二才の冬が山にやって来た。
夢を追い求めて山と戦い、精神力、体力の極限まで絞り出して登頂した時に、初めて勝利者としての快感に酔える。俺にとって山は死を賭けたゲームである。
北鎌尾根には夢がある。新田次郎の小説「孤高の人」を読み、加藤文太郎と言う登山家を知り、感動して、一度は登ろうと前々からチャンスを伺っていた。
槍ヶ岳に続くあの長大な岩尾根を、積雪期に誰の手も借りずに一人で登り切ればきっと何かが有る、と信じて……………
十一月下旬。朝の空気は身を切る様に冷たく、木立に囲まれた高瀬川沿いの道は純白な処女雪が薄っすらと積もり、山奥に消えている。湯煙の上がる湯俣から支流水俣川に入ると、登山道も細く足場も雪で隠れて急に歩きずらくなって来た。 所々に丸太を渡した橋は水飛沫で凍り付き、アイゼンの着用を余儀なくされた。七倉を出て八時間、水俣川の水量も少なくなり、目指す北鎌尾根の末端で分けられた千丈沢、天上沢の出会う場所まで登って来た。
小高い台地には、良く自然に調和し見落としそうな一坪にも満たないオンボロ小屋が建っている。猟師小屋なのか、回りの流木を集め、屋根も草木を乗せただけの質素な物で、まるで歴史教科書から抜け出した様な古代住居である。
疲れたので今日の宿は風通しの良いこのオンボロ小屋を借用し、曲がった丸太の柱にツエルトを張り、夕食の水団を作りながら夜の訪れを待つ。
狭いツエルトの中で、たった一人で北鎌尾根を攀じ登る主人公の自分を描き、その雄姿を思い浮かべ楽しみながら眠りについた。
午前二時には、目が覚めてしまった。米軍放出の羽毛シュラフ上にはツエルトの裾から吹き込んだ雪が薄っすらと積もり蚕の繭の様だ。時々目をやる時計は、分針が四十五度傾くのに無限の長さを感じさせられる。
同行したいと言う仲間の申し出を断って此処まで来たのに、一緒であればバカ話でこの長い時間の消費が出来るとチョッピリ悔やみながら………………
ドラマの幕が開いた。待ち焦がれた待望の朝がやって来た。動きたくてウズウズしている身体は自然に準備を急ぎ、靴底にアイゼンを付けている。冷え切ったアイゼンは指に吸い付き、剥がすのに痛い。かなり温度も下がっている。
昨夜は吹雪だった天候も夜が明ける頃には収まり、まずまずの登攀日和だ。
いよいよ北鎌尾根の始まりだ。潅木と藪の混ざった急な斜面を、膝まで潜るラッセルと半ば強引に潅木に掴まり身体を持ち上げ腕力に頼って登っているので、肩から腕にかけての疲れが増すばかりである。
こんな単純な重労働は俺の描いたドラマの中には出てこなかった筈だと悪態を吐きながら、悪戦苦闘の続いた藪とラッセルから解放され、待望の稜線に飛び出した。腕時計に目をやると、まだ七時十五分である。不思議に思い覗き込むと、なんて事なのだ、止まっている。凍り付いたのか叩いても動き出さない。
暗くなれば眠れば良いさと気楽に考える事にして辺りに目を向けると、小さなピークの向こうに大きな独標ピークの岩峰が目に飛び込んで来た。
槍ヶ岳は岩峰の陰なのかまだ見えない。 千丈沢の対岸には赤茶けた硫黄尾根が奇妙な岩頭を並べ、天上沢を挟んでは、大天井岳から槍ヶ岳に続いている東鎌尾根が競り上がっている。
槍に続く稜線上は、風に吹き飛ばされたのか岩稜には雪が殆んど無く、氷と岩の凸凹とした岩稜が果てし無く続いている。俺が夢に見ていた冬のアルプスの景観だ。 アルピニストだけの世界だ。
これからは、小さな失敗も死の世界に引きずりこまれてしまうので、慎重な行動をしなければとアイゼンバンドを強く締め、槍ヶ岳を目指して歩き始める。
アイゼンを着けた足は、凸凹な岩面では安定しなくて歩きづらい。稜線上の小さなピークを幾つか越えて行くと、高さが百メートル以上ありそうな堂々とした岩峰、独標ピーク基部までやって来た。
千天の出合いより此処まで、殆んど休息も取らずに登って来た自分に気が付き、肩からザックを降ろして大休止。腹にも何か入れなければ。
小麦粉に砂糖を入れ卵で練り合わせて油で揚げた、いつもの行動食を取り出し口に運ぶ。この行動食は水が無くても喉を通るので山にはうって付けである。
煙草に火を付けるが、時間が分らないので落ち着かない。
早々に独標の岩場に取り付く。千丈沢側の基部を巻き込む様に、雪の多く積もっている斜め上に延びたバンドから凹状になった岩場の雪を払いながら攀じ登って行くと、思っていたより簡単にに独標ピークに立っ事が出来た。
見よこの息を呑む様な壮大な景観。三六〇度の大パノラマが広がっている。
アルピニストだけに与えられる山からの贈り物だ。ノコギリ状の岩と氷の岩稜の遥か向こうに槍ヶ岳が小槍を従がえて聳え立っている。ピッケルを握る手にも自然と力が入る。
雲間から時太陽も覗くが、右側の千丈沢から竜巻の様な地吹雪が時々襲って来て、目の前に広がる雄大な景色も白一色のベールに塗りつぶされしまう。身をかがめて地吹雪をやり過す回数が多くなってきた。猛烈な地吹雪が去ると、何も無かったかの様に雄大な景観がまた戻ってくる。
刻々と変わる様相の中を、凍り付いた岩肌にアイゼンの爪を立て、小さな岩峰をもう幾つ越えて来ただろうか。槍の穂先が目の前に覆い被さった広い平坦な場所に登って来た。
何となく辺りが薄暗くなって来た。槍の穂先は目と鼻の先で、一時間もあれば登れるだろう。 頂上で朝を迎えるのも魅力だが、はやる気持ちをぐっと腹に収め、広々としたこの台地を、今日の寝ぐらに決めツエルトを岩角に固定する。
風通しは良いが、平坦な大地に足を伸ばして眠られる。被っているツエルトの中はコンロの火を消すとたちまち凍り付き、風で波を打つ度に小さな氷粒がシュラフから出ている顔に降り、冷たくて何度となく目が覚める。
寒さも次第に身に沁み、とうとう我慢出来なくなって来た。 シュラフに潜ったまま、暖を取る為にロウソクの火を前に座り込み、虫が冬眠している様に背中を丸くしてじっと朝を待つ。
何度となく外が明るくなって来た様な気がして、ツエルトの端を捲って覗くが、外はまだ何も見えない暗黒の世界だ。
暖を取る為に灯したローソクも既に原型を留めず、垂れた蝋から僅かな黒い芯が覗き赤く細い炎になってしまった。もうローソクの予備が無い。このまま凍死するのでは無いか、と不安な気持ちが脳裏をかすめ始めた。
時計の無い長い過酷な夜も、過ぎてしまえば大した事は無い。 ツエルトを捲くると、かすかに空が白み始め待ち焦がれた朝がようやく訪れたのだ。
外は小雪が舞っているが登るには差して問題は無さそうだ。 昨夜多めに作って置いたカチカチに凍った水団を、僅かに残った燃料で温めて口に入れると、冷え切っている身体の芯から暖かさが戻り、ファイトが湧き出て来た。
最大の難所と思える、穂先へのアタックだ。
見上げる岩壁は、七十度程の傾斜を持ち岩の節理に沿って雪が縞模様に付き、見た目はかなり悪そうだ。手袋を外し素手で氷付いた岩に手をかけ、アイゼンの爪を僅かの岩の突起に置きながらジワジワと身体を持ち上げ、二十メートル程攀じ登ってきた。
頭上には、被り気味な凹んだ岩の奥に、先駆者が残していったのであろう、錆び付いた残置ハーケンが一本割れ目に打ち込まれている。感覚も薄らぎ始めた手で慎重に確実な手掛かりを探し、被り気味の部分を乗り越すと、傾斜もガクンと落ち楽な登攀になって来た。
相変わらず小雪は舞っているが雲の間から時々太陽が覗き始めた。振り返ると眼下に昨日歩いた北鎌尾根がまだ暗い谷から浮かび上がり、その全容を見せている。雪は付いているが、大まかな岩が重なり合い豊富な手掛かりを与えてくれる壁を少し登ると、そこはもう前を遮る物の無い、剣が建つ槍ヶ岳山頂だ。
小説の世界に憧れ、俺なりの夢を追い、俺の描いたドラマの完結を見る為にたった一人で挑んだ北鎌尾根の登攀も、今、あっけなく幕を閉じてしまった。
雪の北鎌尾根を単独で成功した者はこの世に何名もいなだろう。成功して槍ヶ岳の頂上に立っても、何か大切な忘れ物をして来た気分である。
頂上を後に、下山を開始するが、槍の肩までの下りは北鎌尾根より危険で、恐る恐るの下降だ。余りの悪さにザイルを取り出し懸垂下降。股間にに片面が雪に覆われた赤い屋根の肩の小屋が建ち、その向こうに白い世界から黒い岩頭を突き出す穂高の山並みが墨絵の様に浮かび上がる。昨年夏友と歩いた前穂高北尾根が、ビーズの峰を並べて梓川に落ち込んでいる。
肩の小屋も次第に近づいて来た。飛騨側から強い風が吹き抜ける為か、瓦礫が所々に雪の間から顔を出す槍の肩に降り立った。
下界の雑踏の中で生活をしていると、なぜか人間が煩わしく山に逃げだすくせに、入山して僅か三日目だと言うのに何故か人恋しい。
膝まで潜るフカフカな新雪を掻き散らせながら、槍沢を一気に駆け下る。
赤沢の岩小屋付近まで下って来ると雪がくるぶし位になり、アイゼンの爪が岩にぶつかり歩きづらい。横尾まで下ると登山道は平坦になり、所々に地肌を見せ始めた。アイゼンをザックに収めて徳沢まで下ると、これから山に向かう三人の登山者に出会った。
人恋しさと、今の時間を知りたくて立ち止まり声をかけると、彼らも休みたかったのか、重そうなザックを降ろし気軽に話し掛けてきた。関西なまりで「何処を登っ来たの?」と聞いたので「北鎌尾根」と答えたら、急に言葉使いが丁寧になり、俺の方が驚いてしまう。
暫らく山の積雪状態を話してやったり、雑談等で人恋しさも解消出来た。彼達の登山が成功する様願って視界から消えるまで見送った。 同行したいと言う者まで拒否し、たった一人で挑んだ北鎌尾根も、俺の心を満たすには何かが足りなかった。
加藤文太郎に憧れ、夢を追い、ロマンを求めてやって来たのに………

墜落
二十三才の俺にとって生涯忘れる事が出来ない日が訪れた。
十月中旬の良く晴れた日、東京の山仲間達と、伊豆の城山南壁で岩登りのトレーニングをしていた時の事である。オーバーハングの先端に打ち込んだハーケンに全体重をかけて乗越そうとした瞬間、私の身体が大きく空中に投げ出された。 「墜落。」無情にも岩の割れ目に打ち込んだハーケンが抜け、後頭部を岩角に強打したのだ。
一時間余りもまったく意識が無い世界をさ迷ったらしく、うわ言で 「どうして落ちた?」と何度も何度も問いただしていたと、後になって仲間から知らされた。
目の前が妙にがまぶしくなってきた。一緒にトレーニングしていた仲間の顔が、抜ける様な青空をバックにして、ぼんやりとではあるが浮かんで来た。
親友、S君の姿が見つからない。尋ねると彼は、医師の手配と俺を搬出する為の応援要請に麓の町に駆け下ったと聞かされた。
頭と足は多少ふらつくが、何とか自力で歩けそうだ。仲間達には迷惑をかけるが、ザックは背負ってもらい、おぼつかない足で、不安定な山道をゆっくりと下山して行くと、救急隊員と医者が、息を切らせて山道を駆け上がってきた。
医者は俺の後頭部を撫で回しながら「コブだけだろうが、一応念のために精密検査しよう。」生まれて初めて救急車に乗せられ病院に運ばれた。
お世辞にも綺麗とは言えない小さな病院。軍医あがりだと言う医者は、やる事も言葉使いも荒っぽい。「少し痛いかも。」の言葉の終らない内に、太い注射器の針が背中から脊髄に刺された。今まで経験した事の無い痛みが全身に走る。
医師は慌てふためいている。「大変だ。すぐ入院だ。」何事が起きたのか見当も付かない俺だが、医師の持つ注射器の中を覗き見ると、真っ赤に染まっている。
脳が損傷され、出血した血液がすでに脊髄まで下りていたのだ。
お世辞にもスマートとは言えない瓶からチューブが延びて、その先端に付けられた太い注射針が俺の腕に刺された。頭は氷枕で動かせないように固定され、俺の自由は完全に奪われてしまった。仲間が、事故の報告と怪我の程度を私の親に連絡してくれたのだろう。日が沈む頃、両親が血相を変えて病室入って来た。二言、三言会話を交わすが、迷惑をかけてしまったバツの悪さが手伝い、それ以上の会話は続ける事が億劫だ。
部屋の外で、医者と両親が小さな声で話をしている。断片的ではあるが耳の中に入ってくる。 「今夜が峠だから付き添って居るように。」 もしかすると俺は死ぬのかな。この親と医師との会話を耳にして、私はやっと怪我の程度の大きさに気が付いたが、脳の損傷のせいだろうか、不思議に死ぬ事への恐怖など全く感じなかった。
ズーと夢の中をさ迷っていた様な不思議な夜が明け、薄っすらと明るくなって来た窓越しから、小鳥のさえずりが聞こえてきた。少し身体をを動かしただけで頭全体に激痛が走る。
一晩中心配で眠れなかっただろう母が、容態の変化も無い俺に安心したのか、笑顔で顔を覗き込んで来て「人に迷惑を掛けるのじゃあないよ。」つぶやいた。
時々は山仲間が見舞いに来てくれるが、一人になると薄汚れた白い壁に囲まれたこの部屋は暗く居心地が悪い。天井のシミを見つめて居るだけで何も出来ない身体では、時間が過ぎて行くのが余りにも長く感じられる。
時おり、写真でしか見た事の無い海の向こうのヨーロッパアルプスやヒマラヤの山々が、まだハッキリしない頭に浮かんでは消えて行く。
タバコを吸いたい、美味いものも食いたい。あれこれと次々に考えているが、ボーとした頭の中は、焦点が定まらないままで、三日間が過ぎ去った。
頭を動かすとまだ痛みは残っているが、あの激痛から解放されて来ると、今度は、再び山に登れる身体になるのか、不安が俺の頭の大部分を占め始めた。
チョッとした不注意が人様に多大な迷惑をかけてしまう事と、今まで当たり前だった健康の有難さを思い知らされた入院生活が続いた。
半月程の入院と、自宅での療養で一ヶ月が過ぎた頃、山仲間S君が、見舞いがてらに「正月の山行はどうする?」と、尋ねてきた。
筋肉は落ち、ボロボロの身体ではあったが、何かに飢えた頭の中では、消えかけていた闘争心がメラメラと湧き出して来る。
「行こう、何とかなる。」そう決めた時、真っ先に脳裏をかすめた事は、迷惑をかけた親、兄弟をどう説得したら良いかだった。
十一月末より落ち葉の山道の散歩等で徐々に身体をいじめ始めたが、三十分も持たない足、息切れ。これほど迄ダメな自分の身体を、夢であって欲しいと思いながら、朝晩と繰り返しトレーニングを続けていると、少しづつではあるが身体の切れが戻ってきた。
十二月中旬、正月の山行計画を両親に話す時がきた。わかっている事だったが、母は、その身体では無理だ、と血相を変えて猛反対。意外だったのは父親。俺が山に還って行く事が分かっていたかの様に「これからは自分で撒いた種は自己の責任で始末しろ。もう子供ではないのだから。」と。口数の余り多くない親父が、初めて俺の山登りに理解を示してくれ、強く後押ししてくれているかの様だった。

稲子岳 東壁 冬季初登攀
あのイマイマしい墜落事故から三ヶ月もしないうちに、再び俺は山に還って来た。 風雪の荒れ狂う北八ヶ岳、稲子岳東壁の基部に、冬季初登攀の栄光と名誉を、この手入れるために、二十才の若きパートナーS君と立った。
彼は、私を頼って二年程前から本格的登山を始め、今まで何十回も、穂高、谷川などの岩場で苦楽を共にしてきた、信頼でき、俺の弟の様な山仲間である。
見上げる岩壁は、雪と氷がビッシリと張り付き、上部岩壁はガスにけむり、時々チリ雪崩が襲って来る。
冬季初登攀の栄光を目の前にして、 今まで一度も感じた事の無い恐怖が私に襲いかかってくる。何だこれは?… まだ危険にさらされた訳ではないのに。「この臆病者が」登るべきか、このまま逃げ帰るべきか、心の中では、果てる事の無い葛藤が続いている。
これまでの俺の登山辞書に敗退と言う二文字は載っていない。「登るのだ。」
著名な登山家が何かの本に書いて在った 「危険を甘受しなければ真のアルピニズムは存在しない。」その言葉が俺の勇気を振るい立たせてくれた。
この初登攀に成功すれば、きっと何かがある。
アイゼンバンドをきつく締め直して、七十〜八十度の傾斜がある岩壁に一歩を踏み入れた。手がかりと成る岩角は全て新雪に隠れて、毛糸の手袋を着けた指先で掴む岩の突起は頼りなく、最初から微妙なバランスが要求される。
アイゼンの前爪二本は岩の凹凸を探し求めてガリガリと音を出し、少しでも安定した足場を探すべく、岩肌を掻いている。
最低限の安全を確保する為に岩の割れ目を探し、ハンマーでハーケンを叩き込み、カラビナに赤と青のザイルを交互に通して行く。 「後十メートル。」残りのザイルの長さを知らせる声が風雪の中よりかすかに聞こえて来る。無我夢中で攀じ登って来たので、残りザイルの事など気にもしなかった。
幸い両足で十分立てる岩棚を斜め上に見つけ、這い上がった。青のザイルはハーケンに固定し、赤のザイルでS君を確保。安全を保障されているS君は、固定ザイルに掴まりながら凄いスピードで登ってきた。
次のピッチに挑みかかるが非常に悪い。手袋を外さないと登れない所が何箇所も現れ、素手になると数分間で指の感覚が麻痺してしまう。
基部から数えて三ピッチ、百十メートル登ると傾斜が落ち、下部要塞の岩壁登攀を完了する事が出来た。
上部岩壁を目指し、斜度四十度程ある、新雪で不安定な雪壁を三十メートル、表層ナダレを起こさないように細心の注意を払い、上部岩壁の基部に登り着く。
見上げる上部岩壁は下部岩壁より多少傾斜が緩くなっているが、その分新雪が岩に乗り、手掛かりを探すのに苦労しそうだ。
S君に確保を頼み、手で雪を払いながら確実に掴める手がかりを求めて、少しづつではあるが確実に高度を稼ぐ。ハーケンを打つとその振動で、滝のようなチリ雪崩が容赦なく頭の上から襲いかかってくる。下を見れば、もろに雪を被ったS君が、動く雪だるま姿でザイルを握りしめ真剣な顔で見上げている。
そんな過酷な戦いが、もう何時間続いただろうか。
指の何本かは凍傷でローソク色に変わり、手がかりを掴む指先は固く凍りつき始め、痛さを通り越した。感覚のマヒした指先は岩角を掴んでいると、妙に安定感を感じる。この白い悪魔の様な危険極まりない岩壁から脱出する時が来た。
上部要塞も、その姿がなだらかな様相に変わってきた。もう、この変色した指先で岩角を掴まなくても良いのだ。 岩頭に座りザイルを手繰っていると、S君が顔面に笑顔を浮かべて登って来た。喜んで手を差し伸べてくるが、痛み付けられた身体には感激も感動も沸いて来ず、儀礼的な握手しか出来なかった。
墜落の危険がなくった尾根を、新雪を踏みしめながら、待ち望んでいた、風雪の荒れ狂う稲子岳山頂に二人は立った。
俺達はやり遂げた。「冬季初登攀」と言う偉業を。疲れ傷ついた身体にはもう名誉も栄光もどうでもよかった。
簡易テントは持参したが、余りの疲れの為に夕食を作るのも面倒になり、今宵は贅沢に山小屋に泊まる事にして、原生林の中を、新雪に足を捉え苦労しながら、白い煙が上がるしらびそ小屋に着いたのは午後四時を回っていた。
薪ストーブで暖を取っていた時、薄暗い奥から声をかけて来る人がいた。
どこかで会った記憶がある三十代の気品の漂う男だ。「何処を登って来たのか」と問いかけて来た。「稲子の東壁」と、凍傷になった指先を摩りながらブッキラボウに答えた。「エーッ」驚きの声が小さな山小屋に響きわたる。
話を聞いて見ると、私達が先程まで死闘を繰り広げたルートの初登攀を目指してやって来たと言う。
明るいストーブの前に出て来た声の主の顔を見て驚いた。国内はもとより、海外の山で活躍している著名なトップクライマー、H氏であった。
俺達みたいな駆け出しのクライマーにとっては「雲の上の存在」の人である。
今日初登攀してしまった事が何か悪い事をした様な気分だ。彼は私の凍傷になった指を見て、ポケットから無造作にビタミンEの錠剤を出し、「これ飲んで見たら? 効くかどうか分からないが。」と、私の凍傷をきづかってくれた。
その夜は、疲れ切った身体であったが、私の知らない海外の山や、あの岩壁は未踏など、俺の心に強く打つ楽しい話を、夜半までしてくれた。
時々指先の痛みで目が覚めるが、山で布団に潜り快適な夜を過すなんて、何年ぶりだろうか。朝、指先は少しピリピリするが元の色に戻っている。昨夜貰ったビタミンEが効いたのだろうか。
H氏に丁寧なお礼を述べ、また何処かの山で会える事を祈りながら早朝、当初の予定どおりに天狗岳の東壁に向う。

天狗岳 東壁
目指す東壁の頂きは、朝日を浴び雪煙が舞い上がり、高度差 四百メートル程の雪壁が紅く染まっていて、昨日の天気が嘘の様だ。 取付きまでは、原生林の中の処女雪を踏みしめながら膝までのラッセル。サラサラの雪なので、歩を進める度に雪が鳴く。 四十分程歩くと目の前が開け、天狗岳頂上をめがけてダイレクトに突き上げている雪壁の下に着いた。
四十五〜五十五度の傾斜に新雪が十五センチほど積もった雪壁を、ザイルも付けず表層ナダレに気をつけながら、ピッケル、アイゼンを最大限に活用して一直線に頂上を目指す。登るにつれ次第に傾斜が増して来るが、昨日と大違いで、明るい太陽の下の登攀なので、悲壮感など全く無い。 ふくらはぎの張りを除けば、余裕を持った楽しい雪壁の登攀だ。振り返れば、女性的山容の奥秩父の山々が横たわり、そんな姿は、疲れている私にひと時の安らぎを与えてくれる。
頂上直下の雪と岩のミックスした脆い岩場の下で、ザックから昨日の登攀で凍り付いたままのザイルを出してS君に渡す。昨日は全部私がトップを引き受けたので、今日はS君にトップを譲る。
アイゼンが「ガチャガチャ」と岩を噛む音が次第に遠ざかって行く。三十メートル程ザイルが伸びた。「OK」とS君の声がこだまする。
私も後を追うが、今日は後ろから登るので気楽な登攀だ。ザイルで二ピッチ六十メートルを慎重に登ると、ヒョッコリと天狗岳の頂上にとび出した。
南八ヶ岳から続く南アルプスの山々。その奥に富士山、中央アルプス、北アルプスの山々が目に飛び込んで来る。見よ、この壮大さ。
病み上がりの身体で、当初の予定どおり、二ルートからの登頂に成功する事が出来た。俺に付き合って登ったS君に記録の全てを上げたい。
自分自身に妥協を許されなかった今回の山行き。再び山に還られた喜び。
そしてH氏との出会い。この経験と体験は、やり遂げた者だけが知り、やり遂げた者だけが心の奥底にしまい込める、貴重な宝と財産である。

谷川岳烏帽子奥壁〜コップ状右岩壁〜土樽へ
この春、生まれ育った伊豆半島を離れ、新潟県長岡市に住み付いた。
山友達の誘いと、谷川岳一の倉沢の岩場に近いという、そんな単純な発想のもとに、静岡の山仲間や親族の反対を押し切り、越後の人に仲間入りした。
ヨーロッパアルプスの大岩壁に挑む夢が現実になるかも知れない。
もし現実となったら、日本の何倍もある大岩壁を相手として戦わなければならない。其れには、強靭な意志と体力、そしてどんな処でも登りきれるテクニックが必要である。 それを裏付けるために今回の計画はたてられた。
前夜から一睡の睡眠も取らず、真夏の太陽が照りつけるもとで、土合駅より谷川岳一の倉沢烏帽子奥壁凹状ルートからコップ状右岩壁の連続登攀をして、一の倉岳から茂倉岳を通り、蓬峠から土樽駅までの縦走と岩壁登攀を組み合わせた登山を、〇、三リットルの水とチョコレート二枚、レモン一個でやり遂げようと。
一の倉沢の岩場で一番難しい岩壁と言われているコップ状右岩壁で試される岩登りのテクニック。最少限の水と食料で炎天下の縦走に我慢し切れるか多少不安では有るが、やって見なければ分からない。やり遂げれば、益々自分に自信を持てるだろう。
今回のパートナーのN氏。二年前から何回となく谷川岳の岩場で会っているし、お互いの技量は分かっている仲である。また新潟県の岳人の中では飛びぬけた情熱を山にぶつけている人物でもある。 俺達二人と何人かの登山者を乗せた夜行列車は、真夜中に土合駅に着いた。
まだ明けぬ一の倉沢は、月灯りの下で不気味な静寂を保ちながら俺達を迎えてくれる。 今日の一日は長くなるだろう。 ヘッドランプと月明かりを頼りに、真夏だと言うのにまだ残雪で埋め尽くされた沢筋から、テールリッジの簡単な岩尾根を登ると、まだ夜が明けないうちに烏帽子奥壁の基部に着いた。
これから登ろうとしている凹状岩壁は、高度差二百五十メートル程のフリークライミングのルートで、烏帽子奥壁の登攀ルートの中では比較的難しい岩場を提供してくれる。
岩場をいかに早く登り切れるかという事も、今回の大きなテーマの一つで有り、自分の力とパートナーの力両方が優れていないと目的を果す事ができない。
対岸の滝沢スラブの上に聳え立つドーム岩峰が明るく輝き出した。
四時三十分登攀開始。 一ピッチ目はN君がトップで、細かい岩を拾いながら四十メートル直登して小さな岩棚で確保。次は俺。一ピッチ目の四十メートルを登ってN君の横をすり抜け、二ピッチ目は俺がトップで、一気に八十メートルを登りきり確保。つるべ式登攀で時間の短縮を図りながら、このルートの核芯部、四ピッチ目は俺がトップで取り付く。垂直の細かい岩の突起を探しながらジワジワと高度を稼いで行く。二十五メートル程直登すると頭をオーバハングに抑えられ、右に十メートルトラバースして、安定したテラスでN君の確保に入る。悪い悪いと言いながらもN君は快調なペースで登ってきた。
このルートの最難度の岩場も足の下になった。タバコに火を付け小休止を取ってから、傾斜の少し落ちた岩壁を三ピッチ 百十メートル登ると、衝立岩の頭へ飛び出した。
五時四十分。僅か一時間十分のスピードで登り切れた。
コップ右岩壁には、衝立岩の頭から四十メートル二回の懸垂下降を行い、コップの広場に降りなければならない。空中を、ザイルにぶら下がりながら降りていると、広場から聞いた事がある黄色い声が掛かって来た。
まだ一緒に登った事は無いが三年程前から付き合いのある、ジャパン エキスパートクライマーズクラブの小暮氏、久保氏、若山さんの三人であった。
お互いの無事と再会を喜び、まるで山での同窓会のように二時間以上も時間
の過ぎるのを忘れて話し込んでしまう。
まだ俺達には難題の右岩壁が待っている。この壁は、まだ三〜四パーティしか完登を許していないと聞いていた難壁だ。 八時四十五分戦闘開始。最初から難しい登攀だ。オーバーハング、垂壁のフリー、ブヨブヨで草付き、浮石など、難題が次から次へと行く手を遮る。この岩壁が提供してくれる難題を解きながら慎重に攀じ登つて行く。 真夏の太陽が憎らしい程に照りつけ、額から汗が滲み出て目が痛い。ザイルの長さで七ピッチ二百四十メートルの登攀で、右岩壁も無事十二時十分登り切る事に成功をした。
ザイルをしまい、一の倉尾根を目指して、急な草付きをただひたすら五十分登ると、五ルンゼの頭にヒョッコリと出た。
これからが体力と忍耐との戦いだ。水も底を尽き、残っているのはレモン一個とチョコレート半分。くそ暑い炎天下のもとで、まだ土樽駅まで四時間以上かかる尾根道だ。このまま、南稜を懸垂下降で一の倉沢に降りれば、涼しい雪の上を二時間程で土合駅に着けるし、どんなに楽だろうか。
俺って何時もそうなんだ。疲れて来ると楽な道を選ぼうとする。
それでいて、欲が深いのか計画を放棄出来ずに突き進んでしまう。
当初の予定どおりに、一の倉岳から茂倉岳を縦走して土樽駅までの長い縦走路を歩く事に決めて、やっと重い腰を上げた。
登山で、単調な道はどうも苦手だ。歩いていても時々睡魔が襲って来る。
緊張感も薄れ、岩登りをしている時より危険な状態だ。空腹と喉の渇き、先程からは疲れも加わって来て、休むたびに歩くのが嫌になる。ただ足の動くままに蓬峠から長い下りを歩き続けると、途中小川のせせらぎが聞こえて来た。
水だ! だが、まだ俺の登山は完成されていない。
せっかくここまで何の為に我慢して来たのだ。澄んだ水を流す小さな沢が道を横切っている。それでも我慢だ。こんな馬鹿げた事をしている自分を誇りに思えて来た。N君はとうに水にあり付き、たらふく飲んでいる。バテバテになりながらも、十七時少し回ってから土樽駅に辿り着いた。
予想どおり、いや其れ以上に厳しい山行きであったが、やり遂げた満足感で一杯の頭は、汽車に乗り込んだ途端に夢の世界に引き込まれてしまった。
この山行きを最後に、N君とザイルを二度と組む事は無くなってしまった。
彼は山の世界から、完全に消え去ってのだ。
ヨーロッパアルプスの大岩壁を夢に見ながらの「より高く、より困難」を求めての登攀と縦走。やり遂げた者だけにしか分からないであろう満足感が漂う。
コップ状岩壁広場で夢を語り、お互いに良い登山をしようと話した小暮氏は、後にヒマラヤ登山に向かい遭難死。若山さんもマッターホルンで墜落死してしまった。
命をかけてまで栄光を掴み獲ろうとしての戦い。己の満足を満たす為の戦い。
そして遭難死。これがアルピニストのすべてに課せられた宿命なのだろうか。

登攀同志会 誕生
長岡に住んで驚いた事に、新潟県に山岳会は数多く有るが、先鋭的登山を行なっている人の数が非常に少なく、一緒に登ろうとしても丁寧に断られるか、対抗心を剥き出しにして俺に接して来る者もいる。
これでは俺を受け入れてくれる山の会など存在しないという事に気付き、それではと自分で山の会を立ち上げることにした。
「登攀同志会」の誕生である。
最初は会員集め。市内のスポーツ店に募集要項を張ってもらい、第一歩がスタート。会員資格は、十八才以上、アルピニズムを追求する者、男女は問わず。
インパクトが強かったのか、十日もしない内に二名の青年が尋ねて来た。
一人は柏崎市のK君。背が高く細身である。もう一人は地元のT君。こちらはズングリとして、明るい人柄が表面に滲み出ている青年だ。とにかく、早く
力をつけて何処の岩場でも登れる様に、暇さえあれば、八木鼻のゲレンデ、弥彦の沢などで岩登りのイロハを教え込んだ。 三ヶ月もするとメキメキ腕を上げ、何となくロッククライマーらしくなってきた。
夏には穂高に連れて行き、伊豆の仲間達も一緒に、屏風岩や奥又白に入り、前穂四峰などで実践訓練を兼ねて合宿を行い、成果を十分得る事が出来た。

明星山 南壁左フェース 直上ルートの開拓
九月中旬。日帰りで、K君とT君を誘い、ここ明星山の岩場にやって来た。
高さ四百から五百メートル、異様な節理をもった石灰岩の岩壁である。
今回の計画は、その岩壁をダイレクトに登るルート開拓を、出来るだけハーケンの力を借りずに登り切る為の、偵察及び試登に来たのである。
今まで経験した事の無い石灰岩の岩壁。そして、覆い被さる岩壁に圧倒されるも、何とか登れそうな場所を見つけ試登して見る。
最初から手掛かりが無く苦戦。被り気味の岩は、わずか四十メートル登るのに、私は二時間もかかってしまう。次はT君、途中まで来ると引力に負け岩から身体が離れる。俺の確保は万全であるが、小太りのT君は重い。何とか私の居るテラスまで必死の形相で這い上がってきた。
今度はK君の番だ。「ザイル張って、緩めて。」など注文を付けてうるさい。苦労してテラスまで来て開口一番、「悪すぎる。」 今日は此処までにして懸垂下降。降りるのは楽なものだ。ザイルの助けを借りて空中散歩。着地した所は、取り付き地点より四メートルも外側に離れ、改めて傾斜の強さを感じた。
十月末、明星山南壁の完登を目指して、再びK君と河原に立った。先回試登の時の怖さの為だろうか、T君は今回の計画には参加を見合わせた。
雲が低く垂れ籠め、いつ雨が落ちて来てもおかしくない天候だが、二日間の休みを逃すと、いつ 又この場所に立てるかわからない。
取り付きより四十メートルは、先月試登した時にザイルを固定しておいたので余り苦労しなくて登ることが出来た。
頭上は赤茶けたオーバーハングが空を遮り困難な登攀が待ち構えている。
ハーケンを打つが半分程で曲がってしまいり効いてくれない。ボルトを打ちたいが、ボルトを使用しないで登り切る事が、今回俺に課せられた最大のテーマであり、ボルトを使用して初登攀に成功したとしても、俺にはこの登攀が色あせた物になってしまう。
恐る恐るハーケンに体重をかけ次のハーケンを打つが、また半分程で曲がってしまう。このハーケンが抜けたら、四十五メートル下の小滝川の河原に叩き
つけられるだろう。祈る様な気持ちで、効かないハーケンに身をゆだねながら
五メートル程登ったら、岩の割れ目さえ全く無くなってしまった。
まだ岩場は、垂直を越えている。
手をいっぱいに伸ばし岩肌を必死でまさぐり回すと、あった。辛うじて指先が半分位かかる程の岩の突起が。「落ちるかも。」とK君に声をかけ、右腕に全体重をかけて身体を持ち上げながら、左手の手掛かりを探す。両足は先程より空中で、何の役にも立っていない。右手はもう限界を越え震えがきている。左手が辛うじて岩をつかんだがぐらつく。もしこの岩が剥がれたらどうなる。
もう戻る事など出来ない絶対絶命のピンチだ。
この浮いた岩に命を託すしかない。手の平は先程から汗が滲み、剥ぎ落とされそうな身体を必死に支えている。まさに生と死の狭間の戦いだ。
今度は右手がしっかりとした岩角をつかんだ。強引に身体を引き上げる。
「ヤッター。」とうとう赤茶けたオーバーハングを乗り越えた。やっと両足に体重を乗せられる所に這い上がったと同時に冷や汗が首から背筋を流れ落ちて行くのを感じる。
好き好んでこんな危険な行為をする事に、何の意味があるのか。俺のしている事など、一般的に見れば馬鹿げていて無意味かも知れないが、俺にとって、この没頭する時間が掛け替えのない人生そのものだ。
右上にルートを取り、安定した場所でハーケン二本を叩き込んで、K君の確保に入る。ザイルが張られているので大丈夫だろうと思っていたが、何度となく確保ザイルにショックが走る。何時もの事だが、K君はやかましい。「ザイルを張れ、緩めろ、落ちる、死ぬ。」など喚いている。
彼が登り始めてから一時間を過ぎ様としている。やっとオーバーハングから顔を覗かせ始めた。ヘルメットの奥の眼鏡が水滴で光っている。暫らくすると私の前に全身を現わした。青ざめた顔に苦闘の跡がありありと出ている。
次に待ち構えているのは、垂直で壁は凹状に開いている壁だ。岩も固く手足を思いっきり使えるダイナミックな岩壁を四十メートルザイル一杯に伸ばしてK君の確保に入る。
泣き出しそうだった空からとうとう雨が落ちてきたが、かまわずダイレクトに登り続けると、岩が脆くなり、所々にブッシュが現れ、傾斜が少し緩くなって多少登り易くなって来た。
夕闇がもうそこまで迫っている。「ビバーク」幸運にもすぐ上に、二人が座って一夜を過せるテラスを探しあてる事が出来た。
下着までずぶ濡れの身体は、寒さで震えている。ツエルトを被り、コンロでスープを沸かしながら暖を取る。狭いツエルトの中はすぐに暖まり、先程の寒
さが嘘のように身体も温かくなって来た。
今夜は長く厳しい夜になる事を覚悟して、温かい身体のうちに少しでも眠ろうとするが、寒さですぐ目が覚めてしまう。
いつの間にか雨が雪に変わり、益々寒さが増して来た。時計の針がなかなか動かない過酷な夜であったが、待ちに待った朝がやって来た。
ツエルトから顔を出すと頭上には青空が広がり、近くの海谷渓谷の山々が白く薄化粧して、もう冬の足音がそこまでやって来ている。紅茶を沸かして冷え切った体を温めてから二日目の行動に移るが、疲れている身体には最初の一歩を踏み出す勇気がなかなか湧いてこない。
大声を発し、自分で自分に気合を入れながら、登攀を再開する。岩は脆いがさほど困難な所も無く順調に百五十メートル程登ると、そこはもう、ザイルの必要のないなだらかな南壁の肩、中央バンドに這い上がった。
とうとうやり遂げた。「登攀同志会」を立ち上げて四ヵ月。
クラブのルートとして明星山 ピーク六峰 南壁に、一本の線が引かれた。
今まで誰の手にも触れていない岩を、遂に俺とK君は足の下にする事が出来たのだ。軟らかい晩秋の日差しを浴びながら、苦労を共にして来たK君とガッチリ握手を交わし、満ち足りた心を思う存分楽しんだ後には、もう次の岩壁に戦いを挑もうとしている自分に驚く。
ヨーロッパアルプスの未知の岩壁登攀が、俺の頭の中を駆け回っている。
この暖かくて快適なテラスも去る時がきた。後ろ髪を引かれながら下山を開始。西側の潅木の中を掻き分けながら小滝川の河原に降り立って、この困難だった岩壁登攀も無事完了する事が出来た。
この岩壁の中央部に、困難で、限りなく真っ直ぐな一本の道が、初めて引かれた。 未知の世界への憧れ。苦しめば苦しむ程その難題を解決した時の喜び。
そして又、新しい喜びを求めて………。

  耐乏の日々
金も無いのにヨーロッパアルプスの計画が着々と進んで来た。
何とか五十万円の金を作る為に、山行きと言えば、交通費の余りかからない谷川の一の倉沢や明星の岩場に集中して行くようになった。
不足分は姉からの借金で何とか出発出来る目処が立ち、最後のトレーニングの為に四月下旬久しぶりに穂高にやって来た。
奥又白の雪と氷が付いた井上靖の小説「氷壁」の舞台になった北壁を登り、滝谷に行きドーム西壁など豪快なクライミングが出来るルートを選び、一週間で数多くの登攀に成功した。
後はヨーロッパアルプスに向かう出発の日を待つだけになった。

ヨーロッパアルプス へ
「生きて帰って来るんだよ」母の言葉を胸に、百日間に及ぶヨーロッパアルプスの山旅に向った。 パートナーはK君、二十六才。山に魅せられアルピニズムの追求の為、我がクラブ、登攀同志会に入会してきた、根っからの山男だ。
勤めていた銀行を退社してまで、私の計画に加わってきた。
目的は、アルプスの中で最難度に数えられている岩壁からの登頂だ。
さしあたりモンブラン山群に天を突き破る様に聳え立つ、ロッククライマーの憧れの的、「ドリュ」の登攀だけは成功させると、心に固く誓っての旅立ちだ。
横浜からナホトカ間は船旅。かなり大きい船なので快適である。寝台列車に乗り継ぎハバロフスクに着いたのは、横浜を出でから三日後、俺の二十七才の誕生日「五月二十三日」だった。
誕生日は、モスクワまでの飛行機の中で過す。外は白い雲が浮かんで綺麗だが、動き廻れない機内はいたって退屈である。何時間乗っただろうか。やがて機体はモスクワ空港に滑りこんだ。今夜はホテル泊まりだ。手足を十分伸ばし
て眠れると思っていたが、白夜のせいなのか十時になっても暗くならず、又、
時差の関係で、俺の誕生日が何と三十時間を越えている。
モスクワからはポーランド経由で夜行汽車の旅。横浜を出てから七日後の早朝、オーストリアの首都ウィーンの東駅に列車は滑り込んだ。
何となく堅苦しい共産国の長旅に疲れた身体を休めるべく、二日間の休養を取る事にして、古都ウィーンの石作り街の見学に充てる。
インスブルック経由で最初の目的地、イタリアのドロミテ山群に向かった。
夕方に辿り着いたイタリアアルプスの山都アレゲは、四方が天を突く岩峰に囲まれ、空と岩峰だけの世界に迷い込んだ様だ。
ドロミテアルプスの盟主、チベッタ北西壁が紅く染まり、その石灰岩の巨峰が針葉樹林の上から覆い被さるように聳え立って・・・

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posted by JoDeL at 16:29| 登山 情報・記録・写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする